皆自分のフィルターを通して物を見る
人が怒られた場面を見たとする。
かわいそうと思うだろうか
しょうがないと思うだろうか
なにか悪いことをしたんじゃないか
虫のいどころが悪かったんだろうか
教育の一環なんだろうか
さまざまな理由が挙げられそうだ
しかしこれらはその人によって異なってくる。
それは価値観、生活歴、その時の気分、置かれている立場
多彩な理由があるだろう。
ポジティブに捉え易い人もいればネガティブに捉え易い人もいる。
ストレスなく人生を生きるには、
見ているフィルターを心地のいいものに変えていく
その練習をするのもいいかもしれない。
怒られている人をみてかわいそう。その人の成長につながる教育なんだ。
床に水をこぼしても、床を掃除する機会ができた。
物が壊れても、新しい物を買って新たな技術を使うことができる。
フィルターはその人次第ではあるが
ネガティブが嫌な人は、ネガティブなフィルターがかかっていると
自覚することから必要である