混合性抑うつ不安障害と診断されて

4月5日混合性抑うつ不安障害と診断を受けました。

今文章が書けるレベルまで回復してきています。

 

頭が真っ白ってこのことなんだろうなと

正直先生が話していることは半分も理解できていなかったでしょう。

先生「明日から休職をしてください」

自分「明日から仕事を休むってことですか」

先生「これは指示ですので休んでいいんですよ」

自分「どうやって伝えればいいでしょうか」

もう自分の頭の中はパニックだったので何をいってるのかもわからない

先生「診断名を上司に伝えて明日から休みますと伝えてください」
  「余程の企業でない限り医師の指示なので休むことができますよ」

自分って鬱なんだ。

と改めて実感。

いつもなら明日から休みと言われて喜ぶはずが

全く嬉しくない。仕事をしなくていいのだろうか。お金は大丈夫だろうか。

職場でなんと言われているだろうか。さまざまな不安がよぎる。

〜現在〜

1日中ベッドに横たわっていることもあったが

今はなんとか外出できるくらいに回復してきた。

ただ人と会ったり、買い物した時は次の日がとんでもなくだるく感じる。

起きている時間も以前の半分程度だろう。

本を読もうとしても頭に入らない。外食の時にメニューを見ても混乱する。

今は復職も休職の延長もどちらも考えてない。

皆自分のフィルターを通して物を見る

人が怒られた場面を見たとする。

 

かわいそうと思うだろうか

 

しょうがないと思うだろうか

 

なにか悪いことをしたんじゃないか

 

虫のいどころが悪かったんだろうか

 

教育の一環なんだろうか

 

さまざまな理由が挙げられそうだ

 

しかしこれらはその人によって異なってくる。

 

それは価値観、生活歴、その時の気分、置かれている立場

 

多彩な理由があるだろう。

 

ポジティブに捉え易い人もいればネガティブに捉え易い人もいる。

 

ストレスなく人生を生きるには、

 

見ているフィルターを心地のいいものに変えていく

 

その練習をするのもいいかもしれない。

 

怒られている人をみてかわいそう。その人の成長につながる教育なんだ。

 

床に水をこぼしても、床を掃除する機会ができた。

 

物が壊れても、新しい物を買って新たな技術を使うことができる。

 

フィルターはその人次第ではあるが

 

ネガティブが嫌な人は、ネガティブなフィルターがかかっていると

 

自覚することから必要である

ミニマリスト日記 テレビを売る

テレビが壊れた。1年で。

 

ほぼ9割はfire tvにてyoutubeをみていたのだが

 

あとニンテンドースイッチをTVに映す時に使用していた。

 

そして壊れて1週間テレビは置いたままである。

 

そして、気づいた。

 

これ要らないのでは?

 

現在特に不自由はしていない。

 

テレビを売ることでNHK代も払わなくて良くなるかもしれない

 

そしてなにより

 

テレビを見る「時間」を捨てることができる

 

テレビは娯楽の中では「受け身的」な娯楽だ

 

成長もない。記憶にも残らない。

 

テレビをただみているよりかは、好きなYouTubeを見たり

 

本を読んだり、ゲームをしたりするのが

 

時間の使い方としては有効だろう。

 

一家に一台あって当たり前

 

そんな常識も断捨離対象である。

ミニマリスト日記 アドラー心理学を学んで会社でのストレスを軽減

アドラー心理学の考え方の一つに

 

「目的論」という考え方がある

 

人間の行動には必ず目的があり、

 

過去の出来事が現在に影響を及ぼす「原因論」とは違っている

 

以前は苦手な人とコミュニケーションを取る際に

 

嫌味を言ってくるのは以前私がしたことが嫌だったんだろうか

 

と自責をするところが

 

自分の立場を強く見せたいがために嫌味を言って

 

カーストが上と自分を納得させたいんだろう

 

など、目的論的な考え方をすることができるようになってからは

 

少なくとも「自責」をすることは少なくなったように感じる。

 

ストレスフルな社会で生きていくには

 

思考のパターンを変えることも

 

幸せに生きていくための手助けとなるかもしれない

 

幸福な人生とは

どちらかといえば落ち込み易い性格だ、私は。

 

そんな時に、何をしていれば幸せになるんだろう。

 

と考えた。

 

仕事でバリバリ働くことが幸せなんだろうか。

 

お金をたらふく稼ぐことが幸せなんだろうか。

 

家族がいることが幸せなんだろうか。

 

家を持つことが幸せなんだろうか。

 

幸せな人生は、

 

幸せを感じることが長い人生

 

 

今は思っている。

 

幸せを感じるには

 

食事・睡眠・運動・思考

 

これらが必要であると思う。

 

今はまだ未熟であるが実践あるのみ

 

まだまだ勉強していこうと思う。